頭の中のふきだまり

考えたこと感じたことを綴るブログ

死に対する恐怖感に関する話

昔から漠然と考えてたことについて書いてみる。人々は必ず死ぬけれど、死に対する感覚って時間とともに変化するのかなみたいな話です。

 

幼い頃、とかく死という概念を恐れていて、死ぬことが怖かったし、自分の親が死んでしまうことは自分には耐えられないと思ってました。

今パートナーができて、1番耐えられないことはパートナーを無くすことだと思っていて、比べることじゃないけど、パートナーを無くすことよりは、親をなくす方が受け入れられる気持ちがあります。親世代が先に死んでしまうことは自然なことですしね。

そして、子供ができたら、そして孫ができたら大切なものが増えるにつれ、1番に大切なものが更新されていって、一番に大切ではないものを無くした時の、ダメージを減らせるんじゃないかと思います。それは自分の命についても言えて、自分の命より、パートナーの命や子供の命が大事だと思えたときに、死ぬことへの恐怖感が和らぐのかもなんて思いました。

そういう理由もあって人は、家族をつくり子孫を残していくのかなみたいなことを思ったりします。子孫を残すのは生物的な本能かもしれないですが、大切なものが増えることで自分の死を受けいられるようになるのかなと思いましす。

また、大切な人、例えば自分の子供が、自分を記憶してくれていれば自分という存在が世界から消滅しないとも考えられるので、自分という存在の爪痕ををこの世に残せることで、死を受け入れられる気持ちができるのかなと思います。

バビロンというアニメがすごい好きだったのですが、善悪について善とは続くこと、悪とは終わることといってました。自分という存在を他者の中でも続かせることに、私は善を感じてるのかもしれませんね。そういう意味では私は善人であり善に惹かれてるのかもしれません。

もちろん価値観は多様化していて、生涯独身でも満足な人はいると思います。仕事ですごい成功して、世の中になにか残せて満足だとか、そもそも人と関わるの面倒だから、趣味やってそれなりに楽しければ一人でもいいみたいな考え方もあると思います。

でも、自分は世の中になにか残したいと思うし、仕事や趣味ではそれは無理だと思うから、子孫を残したいと思うのかもしれませんね。このように書くと、自分の存在を子供に押し付けてしまうんじゃないかとも思いますが、そういうことはあまりしたくないですね。あくまで自然に自分のことを慕ってくれるようになってくれたらベストだなって思います。あんまり恩着せがましく俺が育てたんだぞ感謝しろやみたいな感じで子供に接しても、尊敬されなそうですよね。

あと、こうしてブログを書き残してるのも、世界になにか残したいという気持ちがあるのかもしれないですね。誰かに影響を与えたいなって思わないですけど、ひっそりと世界の片隅に書き残しておくスタイルでいきます。

どんどん脱線して、なんかとりとめないまとめらない文章になってしまいましたが、自分の中でふわっと思うことをとりあえず形にしてみた感じでした。