頭の中のふきだまり

考えたこと感じたことを綴るブログ

私のやりたいこと

私は将来の夢とか明確にないまま30代になった人間です。なんとなく勉強はできたので大学に行き、知ってる人のいる研究室に入り、知ってる人がいる会社に入社した人間です。こうして見返すと人との繋がりを案外大事にしている人間でもありました。そのかわり、夢ややりたいことがない人間だったわけですね。

ただ、何も考えていなかった訳ではなく、昔から俺は何がしたいんだろうと、悩んで生きてきたわけです。

ただ、最近なんとなく漠然とこんな方向性のことがやりたいのかなと思ったので、とりあえずしっくりこない部分もありつつも言語化してみようと思い、筆を執った次第です。

・死に対する恐怖

私について振り返ったときに、死ぬことが兎に角怖いって昔から今でも思ってるなと思います。おそらく幼稚園くらいのときに親に死んだらどうなるかと泣きながら聞いてたことがありました。親は図書館から本を借りてきて、死んだら地獄にいって地獄にはいろんな地獄があるんだよと仏教的な概念を教わった記憶があります。その本にはいろんな地獄の絵が書いてあったのを覚えていて、それが最古の記憶かもしれません。とにかく、それほどまでに私は物心がついたときから、死を恐れていたという記憶があります。そしてそれは今でもそうで、死んだらどうなるんだろう、この意識はどうなってしまうんだろうと考えるとめちゃくちゃ怖くなります。

 

・満足して死にたい

この死に対する恐怖とどう向き合って行くかと考えた時に、この人生で死に対する恐怖を超越したいとかではなく、死ぬときに満足して死にたいなと今思ってます。人生に悔いだらけでまだ死にたくないと叫びながら、死を恐れながら死ぬのは避けたいなと思うわけです。これまでの人生に満足している、だから死ぬのは怖いけど受け入れようと思いながら死にたいと思ってます。これはチ。を読んで思ったことでもあるのですが、後悔のある顔で死にたくないわけで、やりきった顔で死にたいと思うわけです。

 

・この世になにか残したい

じゃあらどうしたら後悔がなくなるか、満足できるかって考えたときに、この世になにか残したいと思いました。なにかというのは自分の生きた証ですよね。この世になにか残したいと言う気持ちは昔からあったわけですが、それを自分の人生に絡んだ納得行く形に落とし込むことができて、少しスッキリした気持ちでいます。今でも結構好きな作品でバビロンという作品があるのですが、そこで善悪の定義について、続くことは善、終わることが悪だと言っています。ここだけ切り取ると納得感ないかもですが、私も自分という存在の欠片でもいいからこの世に続いていくことにある種の善を感じているのだと思います。

じゃあ、具体的には何を残したいのか、一つは子供です。子供に対して自分の思想を植え付けたいみたいなことは微塵も思っていないですが、自分の子供が自分の教育の果てに結果として、自分の考えとかをある程度影響をうけて、後世に続いていったら嬉しいなと思います。逆に全く違う考えの子供になっても面白いですし、自分という存在があったからこそ生まれた子供が自分の死後も生きていくことで、自分の存在が欠片でも続いていくと嬉しいです。

もう一つは仕事上の話になるのですが、なにか世の中に形になるものだったりサービスだったりを生み出したいと思います。それは自分が関わることでもの、ことが生まれ世の中に残っていったら嬉しいという気持ちです。ただ自分が新しい事業を立ち上げて世の中に絶対爪痕残してやるという気持ちでなく、何らかの形でものづくりやことづくりに関わり、その結果生み出されたものが世の中に残っていったらいいなと思います。

子供と仕事という要素について書きましたが、もう一つ趣味の部分でもなにか残したいと思います。子供と仕事だけでは自分自身がないなと思うので、まだ先の話ですが、定年後を見据えて、趣味の部分で何を残したいのか考えていきたいと思います。まずはこのブログは趣味としてやっているところで、この世に残っていくものなので、今後も長期的に休むことはあれど、続けていきたいと思ってます。その他に趣味として、なにか残せるものがあるかわかりませんが、音楽とゲームは続けたいですね。また、プログラミングも趣味にできたらいいなと思っている最近です。そんな趣味を通してなんかしら世の中にものを残せたらとも思ってます。

 

正直、読み返すと大したことを書いてないという気がしますが、形にすることができて良かったと思ってます。これからも自分自身と向き合いながら、やりたいことを考えて、実現のために必要な努力をしていきたいなと思います。