頭の中のふきだまり

考えたこと感じたことを綴るブログ

人工子宮について

 

人工子宮に関する記事が最近バズってたので書いてみます。

 

■記事の内容

人工子宮は受精卵を育ててくれる培養器のようなもので、開発段階としては動物実験レベルのようです。現在は研究段階っで感じで、不妊の原因解明とかにつなげるのが目的で、実用化しようとはしてないと感じました。

そもそも人の胚を2週間以上育てるのは国際法違反なので法律上開発できないみたいですね。

単純に育つだけならできなくなさそうだけど、障害がないのかとか、免疫大丈夫なのかとか技術的なハードルも多そうです。

 

■倫理的な問題

人工子宮と聞くと、倫理的にも問題あるのではと感じられますよね。そもそも現時点では国際法の関係で実現できないです。この技術自体には個人的には倫理的な抵抗感はなくて、不育症の人には喜ばしい技術だと思うし、安全性が確認されて確立された技術となれば、不妊に悩む人を救う技術になり得ると思います。

ただ、実現には人体実験が避けられない点が一番倫理的なハードル大きいのかなと思います。何かを開発するためには、膨大な失敗が必要で、それを現段階では動物で失敗して開発してるわけですけど、人間で試す段階でもやはり失敗はつきものだと思います。

薬の開発なら少量から試すとかできるけど、人工子宮についてはそうはいかなくて、実現するためには多くの失敗が必要で、そこには人の命を失ってしまう過程がついて回ってしまうと思います。そう考えるとほんとに一部の国で独自の法律を作って国際的に批判されながらも開発を進めるくらいじゃないとできない技術なんじゃないかなと思いますね。

 

少子化対策になるのか

そもそも、記事では少子化対策の技術と書かれてましたが、そこに少し疑問を感じました。

仮に実現できたとして少子化対策になるのでしょうか。確かに女性のキャリアにおいて、出産育児というのはマイナスになる面が大きいかもしれません。真の男女平等には必要な技術なのかもしれません。

ただ、人工子宮という技術は、キャリアに対して出産の部分しか解決できなくて、育児は解決できないと思います。結局育児するので、キャリアに少なからず影響は出ると思います。

じゃあ育児も自動化してくれるロボットも作るのかという話になって、そうなると育児を全くしないという価値観が生まれてしまってそれはあまり良くない方向性なんじゃないかなとおもうんですよね。やはり、人間が人間により愛されるという過程は、人が成長する上で省いて良い工程ではないと思うからです。人間にとって愛される経験は欠かせないことだと思います。

子供が少なくなるから作れる装置を作ればいいという発想は、少子化の本質的な問題を解決できなくて、あまり正しい道じゃない気がしています。

もちろん女性にとってキャリアと出産育児は両立が難しい話で、そのために少子化が進んでる一面もあるけど、そこは科学技術で解決するのではなく、社会構造の変化というか、出産育児してる人でもキャリアに影響がでない価値観の醸成とか会社の風土作りが必要なのではと思います。人工子宮が実現できたとしても、価値観とか風土が変わらない限り、子供より仕事を優先してしまい、また違った歪みにつながると思います。

 

■誰のための技術か

じゃあこの技術はいらないのかというと、そういうわけではなくて、やはり深刻に切実に子供が欲しいけど、不育症などで授かれない人のための技術になるのかなと思います。ただ、今も代理出産というのはあって、切実に子供が欲しい人が利用しているんだと思うのですが、人工子宮は代理出産に抵抗感がある人のための技術になるのでしょうかね。正直、そこまで切実に子供が欲しかったら、養子という選択肢もあるし、代理出産という選択肢もあるので、ハードル高い割に、他の選択肢も用意されてるため、ものすごいメリットがあるわけじゃない気がしてしまいます。

技術的なハードルや倫理的なハードルや法律的なハードルなど色々難しいことが多く、今の代理出産みたいに、将来的にできるようになるにしても、一部地域でできるようになるくらいが実現可能な範囲なのかなと思ってます。